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そこはかとなき防備録。

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平安時代の魅力

かの夢心地のやうなアトモスフィアなむ、いとまばゆかりける。

 

たまに聞きたくなる曲……

 

SHOWTA 「HIKARU NO GEN CHAN」

辛いこの世を、少しでも楽しく生きるために

必要なのは、感情を感じ尽くすことではないか。

 

辛いと思っているのなら、辛いんだと心の底からいってみる。

嬉しいと思ったのなら、素直にありがとうといってみる。

 

そうするのが怖い。。こう思うなら、

とりあえず、まずやってみてほしい。

頭の中で考えるのだけは、いくらでもできる。けれども、実際にやってみることが、後から想起したときに、何よりの経験になっている。

 

きっと、人生にゆとりができ、しょうもないジョークや、なんかムカつくものなども、笑い過ごせるようになるだろう。

空が明るく輝いてみえて、虹も綺麗に見えるはずだ。

人は人、自分は自分ってどういうことですか?

自己啓発のサイトではよく口にされる、こんな言葉がある。

人は人。自分は自分ですよ。

この言葉を保護者から聞かされて育ってきた方もいるはずだ。

私はあなた達にお聞きしたい。

人は人、自分は自分ってどういうことですか?

あなたは、おそらく答えられないのでは?つまり、感覚的または本能的にこの言葉を理解しているのでは?

気分を害したら申し訳ない。まあ、こんな言葉の具体的な意味を問う方すなわち私がおかしいのかもしれない。(笑)

このことに関連した話をすると、私は、次のようなことを口にしている人を、

具体的なことを実行できない感覚主義者

と呼ぶ事にしている。

 

しっかりやります!

 

あなたは     しっかりやった    のか?また、しっかりやるとは、具体的に何をしたらそうなれるのだ?

具体的にどうするのかをはっきりと自分で認識できるようになれば、その人の実力も上がるだろうのになぁ。

 

この二つの話から言えることは、抽象的で実体のない言葉は、現実世界ではあまり機能しない、ということだ。

 

ただ、譲歩するとすれば、今私が批判している、抽象的でボンヤリとして曖昧な捉え方にも、それなりの利点はある。2つほど挙げてみる。

その1。大雑把に、アバウトに捉えられる。なんとなーく行動できるから、あまり深く考え込まない。

その2。例えば、スポーツの世界などで、頑張れ!  などといった声援は、実体はないのだけれども何か奮い立つ。そういう謎のパワーを、ボンヤリした言葉は秘めている。

詳しく言うと、

こうこうこうしろ!あれをあーしろ!

と具体的に言われるのと、

頑張れ!応援しているよ

とボンヤリと言われたのでは、

おそらく後者の方がモチベーションは上がるはずだ。まあ、もしかすると個人差があるのかもしれないが。

とにかく、抽象的な言葉によって、何となく獅子奮迅的になれるのである。

 

以上のことから、具体的な視点は勿論だが抽象的な視点も役に立つ。私は下のように思う。

具体と抽象の両方を状況に応じて使い分けるのが、楽しい人生のコツだ。

 

追記。ある予備校講師に、あ、ちなみに科目は現代文。   論理    という言葉をやたら使う人がいる。この言葉がやはり抽象的なのはお察しの通りだが、(笑)このボンヤリした語を何も考えずに金科玉条的に頭に入れている受験生は、果たして根本的・抜本的・具体的に物事を理解出来ているのだろうか?

まあ、この、   論理    という語にしがみついてその教科をできた気になりたいのなら、どうぞどうぞそのまま何も考えずにボンヤリしたものをボンヤリしたまま頭に入れてください、という感じだが。(笑)

 

反論のうまい人

ある説がある。

それに対して反論する人。

彼らは、説に対して一々逐語的に反論したりはしない。

自説を展開していくだけなのだ。

 

対比したがる私にとっては、よく分からないことであるなあ

 

というかそもそも、論破などということは不可能なのではないか?人それぞれに意見があるのだし。論破とはその人の自己満足に過ぎないとも思える。

 

まあ確かに、逐語的に反論することは不可能だということは何となくわかる。

 

記憶法

エビングハウス忘却曲線の話を初めて聞いた時、ほーすげーと思った。

ただ、これからする話は精神論というが心構えのようなものである。あるいはテクニック。

人は、物事を思い出す時、

あ〜何だっけー

を恐らく心の中で言う。

 思いついたのだが、物事を記憶する際に、先にあ〜何だっけーを頭に置いてからインプットすればよいのではないか?

また、例えば日本人の名前を覚える時は、ROOMAZIにしてGYAKUにしてその名前を捉えるのもいいと思う。

明智光秀 MITUHIDE AHETI イニシャルM.A.

真田信繁 NOBUSIGE SANADA イニシャルN.S.

歴史が得意な人がいる。恐らく、彼らは教科書だけでなく、テレビや歴史マンガ、友達などといった様々な方面から歴史上の人物を認識したのだろう。だから定着し覚えやすくなり理解も深まったのだろう。

前に見たドラマで、歌川広重のことをHIROSHIGEと呼んでいるのを耳にしてハッとなった。

ここから言えることは何か。それは、物事を様々の方面、場面、角度から捉えれば、なぜかは分からないが定着するのだということだ。

本当になぜなんだろうか。。。もしかすると、経験値が上がる、といったことが関係してるのかもしれない。

 

以上のことを応用してみようと思う。

日常で、どうしても覚えられなければならないことがある。

どう覚えようか。

簡単。様々な方面から捉えればいい。

その後の語源を調べる。

フリック入力してみる。

すべてローマ字にしてみる。

明朝体で見てみる。

ポップ体で見てみる。

隷書体で見てみる。

録音して自分の声を聴いてみる。それも背後から。

 

こういったことをすることで、経験値なるものが上がるのではないか。そして、より多面的な記憶の定着が図られるのではないか。